70年代後期から東京の様々なディスコでキャリアを積み、赤シャツの松本みつぐ氏や中村ナオ氏等TOP DJと共にプレイし、その技術とセンスでは圧倒的存在感を放っていた。当時、DJ御用達の六本木のレコ屋ウィナーズには、1日に二回レコードの入荷があり、1日も欠かさず毎日2回レコードチェックし、ウィナーズの全てのレコードを知り尽くしてたDJとしても有名でした。そしてDISCO全盛期の頃、名古屋の某大企業が営む巨大ディスコからVIP対応の破格の報酬でヘッドハンティングされかけましたが、その交渉を蹴って、ブッダのオープンDJとして名古屋に来てくれた恩人。彼無くしてブッダは始まらなかった。